ファッションからなにからすべての意味が、 まるで一夜にして塗り替えられてしまった、 そんな幻想にひたっている11月11日金曜日に自宅の一室でこれを書いている。トランプショックが経済に与えた影響は思いのほか想定範囲内で、ほんの瞬間的に市場を刺激するにとどまった、という見方がひろまっている。それは、心理的に与えた影響もそうだ。まるで床が抜け落ちた時のように、一瞬の騒音を除いては、ときは静かにやってきて、静かに去ったのだ。 ドナルド・トランプが「私の大統領」ではないにしても、誰もその不意打ちを食らった気持ちを簡単に吐き出すことはできないでいる。その行き場のない気持ちは、見かけ上の様々な妄言のうえを右往左往している。ドナルド・トランプという人の登場を、政治的クーデターだという人だっている。いっぽうで彼の選出された事実は、見えざる民主主義の勝利なのだという人の声が耳にこびりついて離れない。でもドナルド・トランプという現象は、クーデターでも民主主義でもない。ながく錆ついていて、にもかかわらず誰もが「放任」しつづけて、ないことにしてきた世界の鍋の底が、抜けてしまったというのに過ぎないのではないか。 さて、当サイトの記事では、シックの語源からたどって2016年秋冬の流行を読み解こうとした、「ミニマルなシック、マキシマムなエレガント」や、80年代的なバブリーな派手さと危うさの再現について触れた「ワインレッドなメランコリー」などをわたしは書いてきたけれど、今日の夕方わたしがひとり電車に乗って、冷めきった夕焼けの景色のなかに沈む乗客たちの影をみながら感じたものは、ながい忍耐と様子見の果てに、欲求不満の底がすっぽりと抜け落ちてしまった、潔癖症な人々の姿だった。もしその印象をひとつのキーワードでまとめられるとするなら、「ネオクラシック」だろう。ー欲求不満で不健康な感情を動機として、ひとびとは間違いなく正統なもの、「クラシックな」もの、つまりは「正しい秩序」を求めはじめている。そのことに、わたしはまだ十分には気づいていなかった。あるいは、ひょっとするとなにかが一夜のうちにわれわれを覆い尽くしてしまったのだろうか? 冷めきってるのに、クールでいるのはやめよう。 向かうべきは、欲求不満を正しい方向へと導く 「無秩序な」エネルギーのある場所! みんな、クールであることよりも、クールに装うことに関心を持ち始めた。知的であることや、思索的であることはとってもクール。マックブックを片手にキャンパスを闊歩するなんて、それなりにクールだとわたしは思っていた。でも今年街でみるファッションにはそれとは少しちがう、冷めきった肌寒さがある。薄っぺらくて、ニヒルなかんじ。それがとっても心地悪く感じている。 この心地悪さを打開するものがあるとすれば、とにかく溜まったエネルギーを発散すること! 吐き出せないなにかがあるのなら、別のことでそれを解消すればよい。しかし、このエネルギーはある意味でとってもネガティブで危険だ。しかるべきところで、しかるべき形に発散しないといけない。重くのしかかるものを払いのけるために、思いっきり無邪気にはしゃぎまわるのがいいだろう。 息苦しい秩序のない世界へ向かって、一歩歩みを進めてみよう。そのためには、オープンマインドでいることが何より大事。そして、パワフルであること。リラックストーンの世界は、一歩遠のいたのかもしれない。近い将来、熱く燃えあがるようななにかが生まれるように、まず心に火をつけることからはじめよう。 タイトルに掲げた、「ロック」という言葉が何を意味するのかはよくわからないけれど、わたしがこの言葉で伝えたいのは、エネルギーのある場所へ進もうということ。冷めきっているのに、クールでいるのはいただけない。クールなかんじは、もはやNASTYなかんじさえする。これからはずっと素直で、健気で、勝気な子供にならなければならないのだ。のびのびとして、陽気でダイナミックな心の大きさを持とう!もっともそんな大人はとってもクレイジーだろうけれど。ーそう、それでいいのだ。クレイジーなエネルギーには、クレイジーな反作用で対抗するのが道理というものだから。
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