なんのためにファッションを頑張ってるの? わたしは最近タバコをやめました。ずっとタバコが好きで、タバコなしにはやってゆけなかったのだけど、あるときタバコを吸っていることでずっと追い詰められている自分に気づいて怖くなったの。そんなとき、ふとうえと同じような疑問がこころにうかんだ。「わたしは、なんのためにタバコを吸うことを頑張っているの?」 「タバコは動くアクセサリー」なんていう言葉がはるかむかしの日本にあったそうだけど、ファッションとタバコはなんだか切っても切れない連想の関係にある。つまり、それは強迫神経症的にひとびとに取り憑いて、エクスタシーの感情を味あわせてくれるかわりに、私たちの魂に取り憑いて、巣食って喰い荒すというかぎりにおいて、精神あるいは心理依存性の強い麻薬的な対象なのだ。 ファッションというと、ブランドものの洋服やバッグを大量に消費してアディクトになっている人のイメージを抱く人は少なくないでしょうね。抱えきれないショッピングバッグをポーターや自分の男にもたせて、ちょっとツンとした感じの女。ぜったいに心を病んでる。フリークたちとともによくTUMBLRでみかける種類の人たちだ。 でも、本来のファッションというのはそういうものではないとわたしは信じている。さっきのイメージからマイナス100をしても、それはやっぱり病んでいることにはまちがいはない。最近ではパンやお肉だって麻薬扱いのよのなか。ファッションに毒がないのだったら、きっとバーベキューの特大ステーキを食べることよりもつまらないことになるだろう。 薬には作用と副作用があることを忘れないで。そして、自分の生活や人生にいちばん効果的に効く薬を選ぼう。そういうときに経済学の基礎知識を援用すると役に立つ。そう、あなたがブランドもののバッグを買うとき、あなたはファッションを消費しているのだ。でも、それがあなたにとって唯一の方法だろうか?ファッションが「薬」なのだとしたら、あなたはけして薬をいたずらに消費すべきではないだろう。そんなことをしたら、ただの能なしのジャンキーになってしまう。 薬は人生をよりよくするためにあるもの。ただそれ自体を目的にするのではなく、自分を幸せで、より充実した存在にするための処方箋として活用することにこそ意味がある。ファッションという薬を「消費」せず、いちど「投資」の対象として意識しなおしてみよう。いまの自分にとってほんとうに必要なものはなにか。ーうーん、これはとっても哲学的な疑問だ。「わたしはなにものなのか?どこへむかうのか?」とかね。・・・でも、いちばん大切なことはそれが今の自分にとって最も必要な薬であるかということ。鼻風邪をひいただけの人に、インフルエンザの抗生剤を服用するのはやりすぎでしょ? そうしていると、あなたのワードローブは自然、本当の意味でミニマルなものになるだろう。美しいファッションは、ーたとえ淡いローズ色のフェミニンなドレスであってもー、とっても機能主義なものなのだ。
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